スポーツファンも選手のプレーの好不調を自分の目で見、そしてテレビやラジオの実況放送で、その様子が否が応でも耳に入ってきます。
しかし、人は目の前である現象を目にすると、どうしてもそれをパターン化したくなります。
たとえ何のパターンがない時でも、統計学的な客観性をもって計算することなく、経験則や便宜上の理由から無理やりこじつけても何らかのパターンを当てはめようとします。
それは人の視覚と同じです。
速球が浮き上がってくるような錯覚を見るのと同じように、私たち人間の認知システムは原因と結果という幻覚にとらわれやすいのです。
あるいは、野球の統計的分析手法の第一人者のビル・ジェームズが言うように、ファンが選手のプレーに好不調があると信じるのは、そこに何かそう信じる魅力があるからなのかもしれません。
逆に好不調などないと論じる人たちは、前述のような科学的な根拠をもってそう論じています。
しかし、ビル・ジェームズはその理論には欠陥があると指摘しています。
彼のエッセイの中で、彼は、「目に見えないからといって、そこに存在しないということにはならない。霧は思っているより濃いかもしれないのだ」と警告しているのです。
ヒットが続いたり、あるいはなかなかヒットが出なかったりするのは、バッティングというものが基本的にランダムで、サイコロを振るのと同じだからなのかもしれません。マシスによると、ヒットが続いたり、ヒットがずっと出ないのがランダムに見えるのは、霧を見通す力が私たちにないからなのかもしれません。
あるいは、好不調を見つける測定方法の精度に問題があるのか、その方法が間違っているからなのかもしれません。
つまりビル・ジェームズは、選手に好不調があるかどうかは、まだまだ未知の領域だというのです。